賑やかな店内をそっと抜け出して外に出れば、ひんやりと冷たい空気が心地よかった。
今日は無理矢理連れて来られた飲み会に来たのは良いのだけれど、
僕は大勢で飲んだり騒いだりするのは好きじゃないし、やっぱり来るんじゃなかったと後悔し溜め息を吐いた。
誘われた時に行かないと何度も断ったのだけど、カカシ先輩も来るって聞いたから結局行く事にした。
僕は暗部に入ってからずっと先輩に片思いをしている。
任務では二人で組む事が多いけれどプライベートでは、ほとんど関わる事が無く。
先輩もこういう飲み会にはあまり顔を出さないようだったから、来るって言ったのが信じられなくて。
で、今日の飲み会は来てから知ったんだけど。
今日はバレンタインデーだから女の子はみんなカカシ先輩目当てだった。
僕だって先輩にチョコレートとかを渡してみたいとは思う。
そう思って先輩へのチョコレートを買ってみたのは良いけれど、やっぱり渡すことは出来ない。
こんな後輩の男から貰ったって気持ち悪いだって解ってはいるけど、
やっぱり目の前で好きな人が他の人から言い寄られたりしている所を見ているのは正直辛い。
男である先輩を好きだと自覚した時点で、諦めていたつもりだったんだけど。
このまま僕が帰っても、きっと誰も気が付かないだろう。
大体どうして僕なんかが誘われたのか全く解らない。人数合わせにしたって他にいるだろう。
先輩ともほとんど話せなかったし、もう帰ろうと足を踏み出すと後ろから声を掛けられた。
「あれ、どこ行くの?」
聞き覚えのある声にドキっとして振り返ると、やっぱりカカシ先輩だった。
しどろもどろになりながら苦しい良い訳をした。
「あ・・・いえ、ちょっと明日早いので帰ろうかと」
「・・・そうなの。なんだ、こんな日だし誰かと待ち合わせしてるのかと思った」
「こんな日?」
「今日ってバレンタインでしょ。知ってたら来なかったよ、俺」
そう言って先輩は大きく溜め息を吐いた。
そんな風に言うって事は、お目当ての子は居なかったって意味なのか。
「でも先輩、チョコ沢山貰ったんじゃないですか?」
「全然。俺、甘いの嫌いだから」
「受け取ってないんですか」
「貰うと後々面倒でしょ。・・・それより、ここから離れよ?」
そう言って先輩は僕の腕を掴んで飛び上がろうとするから、僕も慌てて付いていく。
屋根の上を訳も分からず引っ張られるまま走り続けて気が付けば先輩の家の前だった。
事の展開が理解出来ずにぽかんとしていると、先輩は僕に向かってにっこり笑った。
「外だと寒いでしょ。飲み直そ」
「え、あ・・・はい!」
僕はとりあえず先輩の言葉に首を縦に振り、部屋の中に連れられて入った。
必要な物以外は何も無いといった感じの先輩の部屋は、当たり前だけれど先輩の匂いがして。
それだけで僕は緊張してしまって、先輩の顔を中々見られなかった。
先輩は台所で鍋に湯を沸かし、熱燗を用意してくれている。
何がどうなってこうなったのか。僕は今、先輩の家に来ていて。
適当に座ってるように言われ、テーブルの下に正座して先輩が戻ってくるのを待っている。
先輩は今日の飲み会に、どうして来たんだろう。
どうも女の子目当てでは無さそうだし、かといって恋人がいるような雰囲気も無い。
戻ってきた先輩が僕の向かいに腰を降ろしたから、作ってきてくれた熱燗を杯に注いだ。
「今日はほんと参った。気付かなかった俺も悪いんだけど・・・テンゾウは何で今日来てたの?」
「人数合わせで来るように頼まれただけだったので。でもまさか先輩がいるなんて思ってもみませんでした。めずらしいですよね?飲み会とか」
「ん、たまには良いかなって思っただけだよ」
先輩に注いでもらった熱燗をぐいっと煽る。
飲み過ぎて酔っぱらわないようにしないと、先輩に何を言ってしまうか分からない。
だけど緊張で飲まずにはいられなくて。
「それ、全部本命?」
先輩の視線の先は、僕が今日もらったチョコレートが入っている手提げ袋だ。
「多分、いくつかは。断った後に、受け取るだけでもって言われたら・・・それは断れなくて」
「断ったの?せっかく告白してもらったのに」
「それ先輩に言われたくないです。僕、好きな人がいるんで」
「好きな人、ね・・・。ま、俺も同じような理由だ」
ニッコリ微笑んだ先輩はそう言って、空になった熱燗のお代わりを作りに行ってくれた。
先輩、好きな人いるんだ。当たり前の事なんだろうけれど、それを聞いただけで胸が痛くなってしまった。
その人に想いは伝えているのかな。
先輩に想ってもらえるなんて、全く知らないその人に嫉妬してしまう。
先輩に渡すつもりだったチョコレートをポーチからそっと取り出した。
甘い物が嫌いな事は知っていたから、お酒が入った小さなチョコレート。
渡せなくても貰ったチョコだという事にして、せめて一緒に食べてくれたらとチョコの包みを解いた。
だけど戻ってきた先輩はそれを見て、怪訝な顔をした。
「食べるの?」
「食べませんか?チョコの話してたら、なんか甘い物が食べたくなって」
「食べない。よく知らない相手から貰った物なんか、何が入ってるか分かんないでしょ」
「多少の薬物なら平気でしょう、僕も先輩も」
そう言って一粒手に取ると、先輩に奪い取られてしまった。
「え」
「やめとけって言ってんでしょ。チョコならあるから、他に」
そう言って先輩は外して床に置いてあったポーチから、リボンのかかった小さな箱を取り出した。
チョコは貰ってないって言ってたのに、それは?一体誰から貰ったんだろう。
「や。ていうか、それも貰ったやつでしょう」
「これはそんなんじゃない、大丈夫」
「大丈夫って何を根拠に。嫌です、こっち食べましょう」
少しムキになっている様子の先輩につられて僕も対抗してしまう。
それに先輩が誰かから貰ったチョコなんか食べたくないし、食べている所を見たくない。
「だからこれは俺がお前に買っ・・・」
「・・・、え?!」
先輩は言った後に、しまったという顔をして口を手で覆った。
でもしっかり僕は聞いた。俺がお前に買ったチョコって。
信じられない言葉に僕は固まってしまって、何も言えなかった。
だってそれじゃあ僕と同じで、僕だってこれは先輩の為に買ったチョコで。
「先輩、あの」
「いや、これはその・・・日頃世話になってるお前にね・・・」
世話になってるのは僕の方だけれど、そういう事じゃない。
きっと僕も、本当の事を言ったほうが良い。
「これ本当は僕から先輩に・・・買ったチョコです」
「え・・・、嘘でしょ」
「甘いのが嫌いな先輩の為に選んだチョコなんです。変な物は入ってないので食べてくれませんか」
僕がそう言うと、奪い取ったチョコをじっと見つめてからパクリと口の中に入れた。
先輩は何も言わずに、僕の為に用意してくれたチョコを一粒取り上げて僕を見上げる。
「口開けて」
先輩に言われるがまま口を開けると、ひょいとそのチョコを口の中に放り込まれた。
割と大きな粒のチョコの中見はナッツ、僕の好きなくるみ。
「僕の好きなもの知ってたんですか?」
「好きなやつの好きなもの位、知ってて当然でしょ」
先輩はさらりと言ったけれど、好きだって言われたのは気のせいじゃないはず。
その瞳はとろんと熱っぽく、僕を誘っているようにも見えてしまった。
「先輩、ちょっと酔ってますか」
「俺、洋酒に弱いんだよね」
テーブル越しに身を乗り出した先輩が、腕を伸ばして僕の首を絡め取り引き寄せた。
至近距離で見つめ合うと先輩の瞳が揺れた。
「じゃあ、もっと酔ってください」
「・・・お前の方こそ酔ってるでしょ」
先輩の言葉にお互い少し笑って、どちらからともなく唇を重ねた。
一年で一番甘い日の出来事。