in the flight





くまさんのきもち 12








「カカシさん、カカシさん!」
 遠くで何度も名前を呼ぶ声がする。聞き覚えのある声に瞼を開こうとしたけれど、重くてなかなか開かなかった。
「・・・・・・ん、聞こえてる」
 頬に添えられた温かい手に触れると、ホッとしたように大きく息を吐いた。テンゾウ、電話の着信を見て来てくれたのかな。
「良かった・・・・・・。倒れてるのを見た時は心臓が止まるかと思いましたよ」
 ようやく瞼を開くと、まだ心配そうな表情を浮かべているテンゾウの姿があった。
「ごめん。鍵、開けっ放しだった?」
「部屋のインターフォン鳴らしても電話を鳴らしても出ないから、心配になって庭から入ってきました。不法侵入ですよね」
 庭からって簡単に言うけど塀があるのに、わざわざ乗り越えたのか。
「仕事は?」
「休憩時間です。・・・でもまたすぐに戻らないといけなくて」
 そういえばテンゾウ少し痩せた気がする。ちゃんと食事取る時間もないのかな。
「もう大丈夫だから。忙しいのにごめんね」
「もう少し時間あるので、ここに居させて下さい。気分悪く無いですか?あ、何か飲み物取ってきます」
 テンゾウは急いで冷蔵庫に行って、冷えたスポーツドリンクを取ってきてくれた。
「ありがとう」
 そう言って体を起こそうとしたら目の前がまたクラクラしてしまったけれど、すぐにテンゾウが気付いて背中を支えてくれた。
「熱中症ですね」
「徹夜続きだったのに、自分が不用心だった」
 テンゾウに助けてもらってソファに座ったのだけど、庭で倒れたせいか服が汚れている事に気がついた。テーブルの上に制作中のぬいぐるみがあるから、汚してしまう前に早く着替えたい。
「着替えですか?適当に取ってきます、待ってて下さいね」
 久しぶりに会ったというのに、テンゾウはいつもと全然変わらない。自分だって仕事できついだろうに、迷惑かけてしまって・・・。
 すぐに戻ってきたテンゾウは何を思ったか、俺のシャツのボタンに手を伸ばす。
「えっ?な、何してんの」
「体動かすの辛いでしょう。じっとしてて下さい」
 そっと近付けられた顔の距離に、思わず身構えてしまう。だけどテンゾウは何事もなくボタンを外していく。
 テンゾウの温かい手が肌に触れる度に体が震えてしまって、堪らずその手を掴んでしまう。
「どうかしましたか?」
 不思議そうに首を傾げるテンゾウに、何て言ったらいいか困ってしまう。だけどもうこれ以上気持ちを隠せる自信が無かった。
「前にお前に聞かれて男と付き合った事があるって言ったでしょ?」
「はい」
「だから普通ならこういう事も何とも思わないかもしれないけど・・・。勘違いしてしまいそうになる」
 本当はこんな事言いたくないのに。もう会えなくなるかもしれないけど、自分で言ってしまったんだから仕方がない。
「勘違いですか。じゃあそのまま勘違いして下さい」
「・・・え、どういう意味?」
「カカシさんが勘違いするのは僕だからだと嬉しいんですが」
 テンゾウはそう言って上から覆い被さるように俺を抱きしめた。
 優しい腕の感触と温かい体温と信じられないテンゾウの言葉のせいで、何を言ったらいいのか分からなくなってしまう。
「でも恋人が出来たんじゃなかったの?」
 するとテンゾウは体を離して俺の顔を覗き込んで、怪訝な顔をする。
「そんな事、僕言いましたっけ」
「・・・言ってない。けど、この間行った接骨院の待合室で噂話を聞いたんだよ。雑誌で紹介をしたって人とテンゾウが付き合ってるって」
「この間行った接骨院って?」
 更に怪訝な顔をしてテンゾウは言ってから、あっと思い出したように俺から離れてテーブルの下から何かを拾い上げた。
「カカシさんが僕の所に来ないのはここに行ってるからなんだって思ったんですが、やっぱりそうでしたか」
 拾い上げたのはまさにそこの接骨院の診察券だった。まさかテンゾウに見つけられていたなんて。そりゃこんなの見たら、いくらテンゾウでも気分を悪くするだろう。
「違うって。もう行かないだろうから捨てようと思って机の上に置いてたのが落ちたんだよ」
「どうして僕に連絡してくれなかったんですか。カカシさんなら仕事終わってからでも時間作るって僕言いましたよね?」
「嫌だったの。サイに聞いたけど時間も延長して予約受け入れてて大変そうだって。お前に無理させたくなかったんだ」
「カカシさんに会えば疲れなんて吹っ飛びます。大体、その噂話を本当に信じたんですか?」
 いつになく真剣な顔をして怒っているような気もするけれど、俺だって色々考えていた訳で。それを黙って聞く訳にもいかない。
「そりゃ信じるよ。・・・休みの日だって出張でその人の所行ったりしてるって聞いたし、俺の所に連絡してこなくなったし」
「その人とは何でもありません。祖父の親族で昔からお世話になってる人です。あと、僕の倍くらいの年齢の方です」
「え・・・・・・本当に?」
 じゃあその噂話って嘘だったって訳?
 それなら俺が悶々と悩んでいた時間は何だったんだと少し落ち込んでいると、突然テンゾウの携帯電話が鳴った。テンゾウは俺にすみませんと断ってから電話に出て話し始めた。
「うん、分かってるよ。・・・うん。すぐに戻る」
 テンゾウは電話の相手にそう言って、電話を切った。サイからだろう、話したい事は山ほどあるけど仕方がない。
「いっぱい話したい事があるのに」
 言いながらテンゾウは俺のシャツのボタンをさっと外して脱がし、持ってきてくれていたTシャツを着せてくれた。
「俺も」
 するとテンゾウはもう一度俺を抱きしめた。落ち着くテンゾウの匂いに瞼を閉じて、少しだけ頭をその肩の上に預ける。
「仕事終わったら戻ってきても良いですか?」
「俺が行ってもいい?久しぶりにテンゾウの家に行きたい」
「でも体調がまだよくないでしょう」
「平気。お前の顔見たら安心した」
 俺がそう言うとテンゾウは分かりましたと離れ、額に唇を落としてきた。
「ちょ・・・っ」
 思わず目を見開いたあと、すぐに顔が熱くなってきた。その顔を見られたくなくて俯いて呟くように言う。
「・・・・・・仕事終わったら連絡して」
「はい。また後で」

 テンゾウが出て行った後も、しばらくそのまま呆然としたまま動けなかった。一瞬だったのにテンゾウの唇の感触がずっと残ったまま。
 はっきり言われなかったけど、テンゾウって俺の事好きだったの?懐いてくれているとは思っていたけど、そういう感じは全くしなかったから意外すぎて・・・・・・。
 テンゾウに抱きしめられた体が、ぽかぽかと暖かい。
 早く仕事が終わればいいのにと思って時計を見たけれど、まだ夕方だからあと何時間も待たないといけない。
 ゆっくり立ち上がってみると体調はもう良さそうだったから、庭に収穫したまま置いてある野菜を取り込む事にした。今日のお侘びに何か作って持って行ってやろう。
 そうして料理をして、さっと風呂にも入って。作業途中だったぬいぐるみを縫って、夜になるのを待つ。
 今までこうやって縫っている時は他の事をほとんど考えないでやっていたのに、テンゾウと知り合ってから変わった。こんなに誰かの事を想った事は一度だって無いと思う。そうして出来たぬいぐるみも、なんとなく今までと違う印象になった。自分で言うのも何だけど優しくなった気がするんだ。







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