in the flight





くまさんのきもち 3








(あれ・・・・・・いつの間に眠ってしまったんだろう)
 慌てて目を開くと、視線の先に先生が施術室のデスクに座っていて俺と目が合った。先生は俺が起きた事に驚いた様子で視線を泳がして立ち上がる。俺の事を見ていた?いや、気のせいかもしれない。
「すみません。あまりにも気持ちよさそうに寝てらしたので起こせませんでした」
「俺の方こそ。普段は外で居眠りなんて出来ないのに、気持ち良すぎてつい」
 そう言って起き上がると、嘘みたいに体が軽くなっていた。
「・・・・・・なんか体が」
 試しに腕を少し上げて、いつもと感覚が違う事に驚く。
「そうでしょうね。あれだけ凝っている方は久しぶりです。相当体に負担をかけるお仕事をされているんですね」
「仕事をやり始めたら夢中になってしまって休憩するのを忘れてしまうんです。なので余計酷くなってしまうのかも。肩凝りと腰痛は一生治らないと思っていましたよ」
「もちろん、ご自分で気を付けて頂くのが一番なのですが・・・・・・カカシさんが良ければ定期的に通ってください」
 その言葉に俺はすぐ頷いたけれど、突然名前で呼ばれた事にドキッとして先生の顔をじっと見てしまう。
「あ・・・・・・カカシさんって呼んでもいいですか?って聞く前に呼んでしまいましたね」
「はぁ・・・・・・」
「僕の事も名前で呼んでください」
 にこにこと屈託のない笑顔を見せられたら拒否する気も起きないな。それに引っ越してきたばかりだし知り合いぐらいは欲しい。
「名前、聞いてない」
「テンゾウです。カカシさんの四つ下なんで僕には普通に話して下さいね。なんだかカカシさんとは仲良くなれそうな気がするんです」
 人懐こい性格なのか分からないけれど、そう言われて悪い気はしない。というか口説き文句のようにも聞こえるけれど、さすがに男相手にそれは無いか。俺はともかく、この先生はそんな趣向があるようには思えないし。
「テンゾウ・・・・・・ね。分かった」
 もし俺が女だったら速攻で落ちるかもしれない。俺だってうっかりしていると落ちてしまうような気がしているのだから。
「ところで今って何時?」
「四時過ぎです。時間は大丈夫ですか?」
 四時って、いったい俺はどれだけ寝ていたんだろう。ここに来たのは午前中だったはず。
「いや俺は何もないからいいけど・・・・・・テンゾウは?ていうか昼ご飯食べた?」
「いえ。ここで仕事していたので昼食の事は忘れてました」
 テンゾウはそう言うけれど、俺が寝てるから放って離れる事が出来なかったのだろう。それにせっかくの休みの日に仕事させて時間も潰してしまって、さすがに申し訳なく思う。
「何か食べに行く?って、予定が無ければだけど」
「僕と一緒でも良いんですか?」
「もちろん。って言っても引っ越してきたばかりだし、どこに何があるのか分からないんだけどね」
 すると、うーんと考え始める。
「カカシさん、鯖の味噌煮の作り方って知ってます?」
「ん、作れるよ」
「実は今日の朝、釣りが趣味の患者さんが鯖を持ってきて下さったんですよ。でも塩焼きしか作れなくて。良かったら作り方教えて下さい、で、今日はそれを一緒に食べましょう」
 なんかやっぱり口説かれているような気がするのは、俺が汚れているからだろうか。料理を一緒に作るなんて恋人じゃあるまいし。と思った途端、やけにドキドキしてしまった。いやだからテンゾウはそんなつもりじゃないんだって・・・・・・。
「あ、やっぱり嫌ですよね。今日知り合ったばかりなのに」
「良いよ。味噌煮の他に食べたいものはないの?」
 嫌かと言われ咄嗟に了承してしまった。嫌じゃないんだ、ただ勝手に色々と変な方向に考えてしまってドキドキしてただけなんだ。
「僕、料理があまり得意では無いので何でも嬉しいです」
「お茶淹れるのは上手いのにね・・・・・・分かった。じゃ、冷蔵庫の中見せてちょうだい」
「はい。こちらです」
 部屋を出るテンゾウの後に続くと縦に長い廊下に出た。診療室は改装してあるけれど、住居部分は何も施していないようで歩くと床が軋んだ。でもその床はピカピカに磨かれていて、通された台所と居間が続いている部屋もきれいに片付けられていた。
 早速冷蔵庫の中を見せてもらうと、確かにあまり料理をしないようで食材や調味料は最低限のものしか無かった。
 だけど新鮮な野菜と果物があって、それを見繕っていくつか取り出した。大きくて張りのある立派な茄子と、トゲがまだ立っている新鮮なキュウリに南瓜。
「食事の時って酒飲む?」
「はい。カカシさんも飲まれるほうですか?」
「仕事しなくていい時は飲むよ。今日みたいな日とかね」
「ビール多めに冷やしておいて良かったです。僕、何しましょうか」
 台所に立った俺の隣に来てニッコリ笑うけれど、これは今日のお詫びも兼ねているのだから手伝って貰わなくてもいい。
「仕事の続きしてていいよ、忙しいでしょ?」
「いえ、仕事はいいんです。料理も教えてほしいですし」
「じゃあキュウリ、塩揉みしてもらってもいい?」
 すると嬉しそうにキュウリを持ったはいいけど、そのまま固まってしばらくしてから苦笑いをする。
「塩揉みって・・・・・・どうするんです?」
 そこから教えないといけないのかと俺も苦笑いをしたけれど、そんなテンゾウに料理を教えるのは楽しかった。だって俺が何か言う度にニコニコするもんだから、かわいく思えてしまって。
 テンゾウの見た目のせいもあるかもしれない。がっちりしていて顔だって男らしくて、普段は先生なんて呼ばれている男が、まるで子犬みたいに笑うのだから。

 小さめのちゃぶ台に料理を並べ向かい合わせに座り、ビールで乾杯をする。テンゾウは一口飲んで、すぐに手を合わせた。
「いただきます」
 そう言ってすぐに料理を頬張り、満足そうな表情を浮かべた。
「カカシさんって料理上手なんですね、すごく美味しいです」
「一人暮らしが長いからね」
「僕だって一人暮らし長いですけど、一人でこれだけの量作るのが面倒だと思ってしまって」
「ま、料理するのが好きなんだよね。家で仕事してるから、いい気分転換にもなるし」
 すると、あっと何か思い出したような表情をする。
「僕、施術させて頂いた方の職業って大体当てる事ができるんですが、カカシさんの職業が見当もつかなくて。何かを作られている職人さんなのかなって気はするんですけど、どうですか?」
「間違ってはいないけど、職人じゃないよ。何を作ってるかまでは絶対に分からないと思う」
「何を作られているんですか?」
「ぬいぐるみ」
 そう答えて手元のビールをごくりと飲み干した。初対面の人に職業を聞かれて教えた時って必ず驚かれてしまう。確かに男でぬいぐるみ作家なんて珍しいし、まず俺にぬいぐるみが似合わない、らしい。
 だからテンゾウも驚くだろうと思ってはいたけれど、案の定とても驚かれた。また別の意味で。
「あの・・・・・・後でもう一度体を見せて頂いても?」
「・・・・・・え?」
 テンゾウは驚いた顔のまま首を傾げている。何がそんなに気になるのだろう。
「あ。すみません・・・・・・。カカシさんってスラッとしてらっしゃるけれど、全身とてもきれいに筋肉が付いていたので気になって。運動とかなさってたりしますか?」
「肩凝りと腰痛が酷いからストレッチと軽い筋トレを毎日少しやる位だけど」
 すると少しだけ納得したような顔をして頷いた。俺がぬいぐるみを作ってるという事には驚かなかったんだろうか。
「カカシさんの作ったぬいぐるみ、見てみたいなぁ」
「また持ってくるよ」
 それにしても初対面で料理を作って、今普通に話をしてるけれど。これって俺にとったら凄い事だったりする。
 今まで初対面で誘ってくる相手って下心が見え見えで面倒だから断ったりしていたんだけど、テンゾウはそういう感じが全然しない。誘い方とか割と強引だったのに有無を言わせないというか、安心できる。
「ありがとうございます。あ、院の方は僕一人でやってるので電話してもらった方が待たせる事も無いと思います」
「ん、分かった。・・・・・・ところで家に入ってたチラシなんだけど、どうして何も書かないの?近所だったから来てみたけど、あれじゃ他の人は来ないんじゃない?」
「実は、今は新規の患者さんは飛び込みの方以外受け付けていないんです。飛び込みっていっても看板が小さいので、ほとんど無いに等しいんですが」
 受け付けてない?じゃあどうしてチラシを投函したんだろう。俺が首を傾げているとテンゾウは罰が悪そうに笑った。
「・・・・・・実は僕カカシさんが今住んでらっしゃる建物が好きで、時間があれば外から見に行ってたりしていたんです。ずっと空き家になっていたんですが、誰かが引っ越してくるって知ってチラシを投函してみたんです。どんな人が住むのか気になっちゃって・・・・・・。だって僕と同じようにあの建物を気に入った人じゃなきゃ住もうと思わないでしょう?」
「という事はチラシを持って来た時には、俺がその引っ越してきた人だって解ってたって事?」
「はい。・・・・・・気を悪くされたらすみません」
「いや、気を悪くするとかは無いけど会ってどうするつもりだったの?」
 俺があの家に住んでいるからテンゾウは今こうやって俺と一緒に飲んでいるのかな。
「どうするつもりも無かったんです、それは本当です。ただカカシさんに会って、さっきも言いましたが仲良くなれる気がして」
 まただ。テンゾウは何ともなしに言うけれど、言葉だけ聞いたら口説かれているような気になってくる。でも顔を見ると、そうじゃないんだよな。だから少し混乱してしまう。
「テンゾウっていつもこうなの?」
「と言いますと・・・・・・?」
「いや、そんな風には全然見えないし思えないから、こうやって一緒に飲んでるんだけど。なんていうか、軽いのかなってちょっと思った」
 自分で言ってから言わなきゃ良かったと思った。テンゾウは目を真ん丸にさせて首を横に何度も振って否定する。
「いつもこうじゃありません!患者さんとは親しく話したりしますが部屋に上がってもらったのはカカシさんが初めてです」
「え、あ・・・・・・あぁ、そうだよね。変な事言って悪かった」
「カカシさんがそう思われても仕方ないです。でも思い切ってチラシ投函して良かった」
「あのチラシ見なかったら来る事無かっただろうし、来て良かった。こんなすごい先生に会えるなんてね」
 するとテンゾウは少し照れたような顔をして首を横に振る。
「整体は相性もありますから。・・・・・・カカシさんに合う整体師が僕で嬉しいです」
「でも整体師の仕事って大変じゃない?それこそ肩とか凝りそう」
「疲れが溜まるときついですけど、今は無理しないペースでやってるんで大丈夫ですよ。筋トレもやってますし体力作りは日課なんです」
 確かにテンゾウの腕の筋肉はとてもきれいだった。ムキムキしすぎず俺と変わらない位の太さなんだけど肉の付き方が全然違う。
「そういえばさ、手の平っていつもあんなに熱いの?」
「そんなに熱かったですか?」
 そう言ってテンゾウは俺の目の前に手を差し出してくるから触れてみると、やっぱりとても温かかった。この手に触れられるだけで気持ち良いような気がする。
「遠赤外線が出てるんじゃないかって思う位にぽかぽかしたよ。冬はいいね、テンゾウがいたら暖房要らずな気がする」
「それって夏は暑苦しいって事ですか」
「そんな事、一言も言ってないでしょ」
 少し落ち込んだ様子のテンゾウがおかしくて思わず吹き出してしまった。
「何、もしかして恋人に暑苦しいって言われた事があるとか?」
「あります。体温が高いのは整体師としては良い事なんですけど、それ以外で良かった事なんてほとんどありません。冬は確かに暖房変わりになるかもしれませんが、夏が来るとすぐ暑苦しいって」
「んー・・・・・・俺は気にしないけどね。俺は体温低いし、むしろクーラーがかかってる部屋の中とかだと気持ち良いと思う」
「クーラー苦手ですか?寒かったら切ります」
「いや、苦手じゃないよ。今は酒も飲んでるし丁度良い」
 今日はテンゾウにマッサージしてもらって体が軽くなったし、久しぶりに熟睡したし酒も飲んで食事もして、凄く気分も良い。








Home