in the flight





くまさんのきもち 4








 それから互いの話を沢山して、どれ位の時間が経ったのだろうか。酒の肴が無くなったから台所で作って部屋に戻ると、酔いつぶれたのか単に眠かったのかテンゾウが気持ちよさそうに眠っていた。
 どうしたものかと顔を覗き込んで呼びかけても、起きる気配は一向になかった。
 それにスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている姿を見たら、叩き起こすのが忍びなく思えてしまう。とはいえテンゾウが起きない事には家に帰れない。
 今は急いでやらないといけない仕事も無いし別に良いんだけど、テンゾウは朝から仕事があるだろう。俺は昼に沢山寝てしまったせいで眠くはないし起きるまで待っていようと思った。

 さっきテンゾウに聞いた話だと、この家は元々テンゾウが祖父と住んでいた家だったらしい。祖父といっても血は繋がっておらず、両親を幼い頃に亡くしたテンゾウを引き取って育ててくれた恩人でもあるそうだ。
 その祖父と一緒に駅の反対側で接骨院をやっていたらしいのだけど、祖父が亡くなった時に辞めたんだそうだ。一人で回すには大きすぎる接骨院だったらしい。だけど他の整体師を雇う気にはならなくて、それなら祖父が遺したこの家で新しく始めたいと思ってできたのが、ヤマト接骨院。今の患者さんはほとんど前に通ってくれていた人ばかりらしい。
 だから新しい患者さんを呼び込む余裕が無いのだろう。

 畳の上で横になっているテンゾウを見て、この体勢だと寝違えてしまいそうだと思い仰向けに倒してやった。何か上に掛けるものが無いかと部屋を見渡してみたけれど見当たらず、勝手に引き出しとかを開ける訳にはいかないから諦める事にした。
 寝ている間に洗い物だけしようとテンゾウの傍を離れようとした時、手が伸びてきて俺の腰を引き止めるように掴んだ。驚いてテンゾウを見ると起きた様子でもなく、ただ寝ぼけているだけだとすぐに解ったけれど掴んだ手は離されそうになかった。
 誰と間違えているんだかと溜め息を吐いて座り直し、困ったなと溜め息を吐いた。寝ぼけているだけなのだから離せばいいんだけど、何故だかそうする事が出来なかった。

 何時間もそのまま居たけれど不思議と退屈する事はなかった。ぼんやりと考え事をしたり、眠っているテンゾウの顔を眺めたり。
 明け方ぐらいだろうか。さすがにウトウトし始めた頃に、ようやくテンゾウが目を覚ました。
「おはよ」
「あれ、僕眠って・・・・・・って、すみません・・・・・・っ!」
 結局ずっと掴まれっぱなしだった手の事に気が付いて慌てて手を離し、飛び起きる。
「誰と間違えたの?」
 おかしくって笑うとテンゾウは顔を赤らめて首を横に振った。
「本当にすみません・・・・・・。時間大丈夫ですか?」
「俺は平気だけどテンゾウは仕事でしょ。だから起こそうかと思ったんだけど、ぐっすりだったから起こせなくてね」
 部屋に掛かっている時計を見ると四時半だった。
「でもなんか、よく眠れました。・・・・・・もしかして、ずっとここに居てくれたんですか」
「振り払うのも悪いと思って。もうちょっと寝てたら?起きるにはまだ少し早いでしょ」
「いえ、もう目は覚めてしまいましたから。カカシさんはもう帰られますよね」
「ん、帰って寝るかな」
「じゃあ家まで送ります」
 送るって、すぐ近所なのにと笑うとテンゾウは首を横に振った。
「じゃあ送ってもらおうかな」


 テンゾウと一緒に外に出ると、うっすらと明るくなってきていた。誰も歩いていない静かな通りを並んで歩く。
「また来てくださいね。次は迷惑かけないようにしますので」
「そうだ。まだ散らかってるけど、今度家にも来て。家の中は見たことないでしょ?」
「本当ですか?嬉しいです、是非行かせてください」
 そんな話をしていると、あっという間に自分の家の前に着いてしまった。
「おやすみなさい。あ、揉み返しは無いと思いますが、念のため起きたらストレッチだけはしておいて下さい」
「はいはい。テンゾウも帰って居眠りしないようにね」
「気を付けます。・・・・・・では、今日はありがとうございました」
「うん、俺もありがとう。じゃ、またね」
 にっこりと笑って背を向けたテンゾウを見えなくなるまで見送って、暗い自分の家の中に入った。
 ひょんな事から面白い男と知り合ってしまった。越してきた先で誰かと知り合うなんて思ってもみなかったな。
 ベッドに横になると、あたたかいテンゾウの手の感触が蘇ってきてウトウト眠たくなってくる。ベッドの横に置いてある、あの犬のぬいぐるみを手探りでたぐり寄せ顔を埋めるとすぐに眠りに堕ちてしまった。


 起きたのは昼前だった。さすがに暑くて寝ていられず目が覚めてしまったのだ。
 ぼんやりしたまま一階に降りていき洗面所で顔を洗って、居間に行き水を飲む。庭が見渡せるソファに身を沈め、目の前のテーブルに置いてあったノートと鉛筆を手に取った。
 愛用しているノートはジャポニカ学習帳という、小学生が学校でよく使うものだ。国語用や算数用など色々出ているのだけど、それらは線やマス目が引かれてあって、いかにも勉強をしないといけないという気になってしまうのだけど、自由帳は線もなく真っ白で好きなものを好きなだけ書く事ができる。
 もちろん勉強はしっかりしたけれど自由に書く事ができる自由帳が俺は好きだった。仕事をしていた時はデザイン画も提出しなければいけなかったからスケッチブックを使っていたけれど、今は何も気にする事が無いからこの自由帳を使っている。
 そんな自由帳に鉛筆を走らせる時が、一番楽しいかもしれない。
 その自由帳に、猫のイラストを描き始める。首から看板をぶら下げた目が真ん丸の黒猫。ヤマト接骨院の看板猫だ。看板猫といっても実際に猫がいる訳じゃないけれど、俺の目に止まったのはあの黒猫のイラストがあったからであって。普通の接骨院のチラシであれば、他も探してみようかと思ったりして足を運ばなかったかもしれない。
 だから、そういう意味では立派な看板猫だ。
 イラストが完成するにつれて、なんとなくテンゾウに似ているかもしれないと気付く。
 性格はどっちかって言うと犬だけど、猫っぽい。それも黒猫。あの猫のイラストのモデルはテンゾウなんだろうかなんて思ってしまう。知り合いに描いてもらったのかもしれない。


 完成したイラストを見て型紙を起こしていく。これが一番重要な作業で少しのラインの差で、完成した時に違いが出てしまう。洋服でも同じ事だけど小さなぬいぐるみだと余計に見た時の印象が決まってしまうから、慎重に完成した時の姿を頭の中でイメージしながら線を引いていく。
 そんな作業に没頭していたら、あっという間に時間は過ぎてしまって。今日は庭仕事をしようと思っていた事に気付き、一旦作業の手を止めた。

 食料を買い出しにいく商店街の入り口に植木屋さんがあって、色んな種類の花や野菜の苗が揃っているのだ。店は夕方頃に閉まるだろうから急いで仕度して家を出た。
 いつも商店街に行く近道があるのだけど、テンゾウの接骨院の前を通って行く事もできるから前を通ってみる事にした。
 だけど今は休憩時間らしく人影は無かった。そういえば店の前に止めてあった自転車はテンゾウのものなんだろうけど、今は止められていない。どこか出かけているのかな。
 昨日は沢山寝たとはいえ、あんな寝方したから今日は疲れているだろう。お礼のつもりで夕飯を一緒に作ったけど、また迷惑かけてしまったかもしれない。
 そんな事を思いながら前を通り過ぎ、しばらく歩いて商店街の植木屋さんに到着した。
 前はちらっとしか見てなかったから分からなかったけれど、沢山の種類の苗が並んでいてどれにしようか悩んでしまう。だけど歩いてきたから持って帰れる量は決まっている。
 とりあえず最初から植えようと思っていた茄子ときゅうりとミニトマトの苗を選び、会計を済ませて店から出ると突然声を掛けられた。
「カカシさんっ」
 顔を上げるとテンゾウが自転車に乗って、店の前で手を振っている。
「休憩中?」
「はい。カカシさんは買い物ですか?よかったら僕、運びますよ」
「ほんと?じゃあちょっと待って、それならまだ買いたいのがあるから」
 テンゾウが運んでくれるのならと、次来た時にしようと思っていたハーブの苗も買う事にした。
「僕に言ってくれれば良かったのに。これ、いつ植えるんですか?」
「帰ってからやろうかと思ってる、終わるか分かんないけど」
 するとテンゾウは腕時計を見て溜め息を吐いた。
「手伝いたいですけど間に合いそうにありませんね・・・」
「運んでくれるだけで充分助かるよ。それより今日、疲れてない?畳の上で寝たから背中痛いんじゃないかと思って」
「それは自業自得です、カカシさんがいるのに寝てしまうなんて」
 やっぱりそうだよね、あんな所で寝たりしたらテンゾウでも辛いと思う。
「なんかまた送ってもらっちゃったね。でも助かった、一回で済んで」
「いつでも声掛けて下さい。昼間なら僕、体空いてますから」
 テンゾウは言いながら玄関まで沢山の苗を運んでくれた。
「ありがとう。仕事、がんばって」
「はい、カカシさんも。今日は暑いですから熱中症には気を付けてくださいね」
 その言葉に頷いて、今朝と同じようにテンゾウの背中を見送った。今度はちゃんと家に呼んで、もてなしてやろう。昨日今日と世話になりっぱなしだ。
 苗を庭に運びながらそう決めて、野菜が収穫できたら持っていってやったら喜ぶだろうかなんて、いつの間にかテンゾウの事ばかり考えてしまっている。
 炎天下の中、この間ガイときれいにした庭の畑に苗を丁寧に植えた。あまり汗をかくほうじゃない俺も汗だくで、何度も水を飲みながら作業を終えた。
 これからどんどん大きく成長していくのを、毎日眺めなら仕事ができるなんて数年前の俺には考えられなかった事だ。植物は好きだったけれど忙しく、きちんと世話ができなかったから枯らしてばかりで。観葉植物しか育てる事ができなかったのに。







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