in the flight





くまさんのきもち 5








 その後はまた看板猫の制作を始める事にした。
 柔らかい素材の黒い布を型紙に沿って切り落とし、縫っていく。視力が左目だけ悪いから、繊細な縫う作業の時だけ眼鏡をかけている。普段も掛けたほうが良いのかもしれないけれど、慣れてしまっているのか生活に支障が出た事は一度もない。
 縫い始めると完成は早く、綿を中に詰めていく。綿を入れる量も重要で何度もバランスを見ながら足したり減らしたりして、くったりとした肌触りのいい黒猫のぬいぐるみの形が出来上がった。あとは顔のパーツ。いつもならイラストを見ながら縫っていくのだけど、今回は何も見ないで縫う事にした。テンゾウそっくりな猫なんだから、テンゾウの顔を思い出しながら作ればいい。
 黒目がちな大きな目と意志の強そうな唇。黙ってると男らしい顔なんだけど、笑うと犬みたいでこっちまで釣られて笑ってしまう。
 そうして完成した猫のぬいぐるみは手の平サイズで、座らせると力が抜けた感じで我ながら良い感じだと思う。これをテンゾウに渡そうと思うのだけど、なんとなく手元に置いておきたい。かといって二体作ってテンゾウとお揃いになってしまうのも恥ずかしいな・・・・・・。
 その猫のぬいぐるみをパグ犬のぬいぐるみの隣に置いてみた。
 今まで自分が作ったもので気に入ったものはあっても、愛着のあるぬいぐるみの隣に置くと違和感を感じるものばかりだった。だけど、これはすんなり馴染んで違和感も感じない。

             *

 それから数日後。夜遅くに大人しく仕事をしていると、家のインターフォンが鳴った。
 時計を見ると、もう十一時を回った所だった。こんな時間に訪ねてくるなんて誰だろうと思ったのと同時にテンゾウの事がふと頭をよぎった。
 そういえば俺、あれから連絡もしていないし接骨院の予約もしていなかった。テンゾウだったら謝らないとと思ってドアを開けると、案の定テンゾウがそこに立っていた。
「こんな夜遅くにすみません。灯りが付いていたので」
「いや、構わないよ。どうしたの?」
 そう聞くと視線を逸らして頭を掻いた。
「特に用事は無いんですが、なんとなく来ちゃいました」
「散らかってるけど上がって。休憩しようと思ってた所なの」
 実際は休憩するのも忘れて作業に没頭していた所なんだけど、テンゾウが突然訪ねてきてくれたのに追い返すなんてとんでもない。そんな事、今まで他の人に対して思った事なんかないのになぁ。俺にとってテンゾウって特別な事が多い気がする。会ったばかりなのに。
 そんな事を思いながらドアを開いてそう言えば、嬉しそうにニッコリと笑って頷いた。
「お邪魔します」
「本当はちゃんと招待しようと思ってたんだけど、またそれは今度ね」
 言いながら家の居間に案内したんだけど、作業をそこでしていたものだから布や綿や型紙やら、そこら中に散らばっていて座ってもらう所が無い。
「あ、やっぱりお仕事中でしたよね・・・・・・」
「良いよ。多分訪ねてきてくれなかったら朝までやってたかもしれないし」
「時間は大丈夫ですか?お邪魔だったら、やっぱり僕」
 帰ります、と言いかけたテンゾウの言葉を笑って遮る。
「そうじゃなくて、仕事やり始めると他の事忘れちゃうんだよね。もっとゆったり仕事しようと思って引っ越してきたのに意味無かったな」
 言いながら、とりあえずソファとテーブルの上の荷物を適当に片付けてテンゾウに座ってもらった。
「それだけ仕事が楽しいって事ですよね」
「作業している間は楽しいというよりも、何も考えなくていいから好きなんだよね」
 部屋を見渡すと人を呼べるような状態でなかった事に気付いて、作業中でもきれいにしておけば良かったと後悔する。きれいだったテンゾウの部屋を思えば尚更だ。
「明日、休みだっけ」
「はい。なので訪ねてみました」
 明日が休みでこの時間に来たって事は、普通に考えると朝までいるつもりで来たんだろう。来客用の布団を引っ越してきてからまだ干していないし、朝食の材料は二人分残っていたかなと色々心配になったけど、それは後で考えればいい。
「じゃあ酒でいい?ていうか夕飯は食べたの?」
「ありがとうございます。夕飯は軽く食べました」
 テンゾウの言葉を聞きながら冷蔵庫を開ける。それなら肴をわざわざ作らなくても作り置きのおかずで足りるだろう。ひじき煮やきんぴらなどの常備菜と、今日の朝に作ったばかりの鰯の煮付けに昨日の夕飯だった筑前煮。足りなければ冷凍保存したものを温めればいいし、とりあえずそれらを運んで冷蔵庫から冷えたビールを取り出した。
 先日アスマ達が引越祝いにと沢山持ってきてくれた奈良高原の鹿ビールを、缶のまま持って行きテンゾウに渡す。
「あ、これ知ってます。美味しいですよね」
「そうなの?貰い物なんだけど、まだ飲んでなくて」
 鹿ビールってネーミングがあまりピンと来なくて、冷蔵庫に入れっぱなしになっていたのだ。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
 ソファに並んで座って乾杯をする。なんとなく飲みにくそうなイメージだった鹿ビールは、割とスッキリとした飲み口で香りがとても良かった。
「美味しいね、これ。名前で損してる気がする」
「そうですか?鹿のイラストも僕は好きですけど」
 高原に鹿が佇んでいるイラストなのだけど、言われてみれば爽やかで悪くはないのかもしれない。
「普通に奈良高原ビールで良いでしょ」
 なんとなく、その方が飲んでみたくなるけどなぁ。
 そんなどうでも良い話をしていたんだけど、庭の事を思いだして目の前のカーテンを開いた。
「あ、この間の苗ですね」
「そ。まだ小さいけど、きっとすぐ成長するよね」
「本当に素敵な家ですね。外見ばかり見てましたけど、家の中のほうが好きになっちゃいました」 「でしょ。俺も不動産屋さんに見せてもらって、すぐに決めちゃった位だから」
 ソファに深く身を沈めると視線の先に明るく光る三日月が見えた。電気を付けているのが勿体無い気がする位にきれいだけど、さすがに男二人で灯りを消して月見なんて言い出せなかった。
 男と付き合った事はある。だからテンゾウの事も良いなぁと思ったりするんだけど、今までみたいに軽く誘ったりする気分にはどうしてもなれないのだ。テンゾウといると今までにはなかった自分の感情が次々に湧いてくるから、今はその思いを大事にしてみたい。
 そもそもテンゾウは普通だろうし、好きな人とか彼女とかいるのかもしれない。今まで俺がいた業界が特殊なだけで、男同士の恋愛なんて普通の事では無いから。

「カカシさんって家では眼鏡なんですね。出かける時はコンタクトですか?」
「ううん、仕事してる時だけ。片方だけ悪いんだけど普段は無くても平気」
 そう言うと、じっと目を覗き込むように見つめられる。そういうつもりは無いんだろうけど、真剣な表情にドキドキしてしまって視線を逸らした。
「ビールでいい?」
「え?あ、はい。ビールで」
 少し不自然だったかもしれない、なんて思いながら冷蔵庫にビールを取りに行く。
「そうだ、他の部屋見る?」
 このまま隣に戻ったら変に意識してしまいそうだったから提案してみると、嬉しそうにパッと笑顔になって頷いた。
「はい、見たいです」
「じゃあ二階から案内するよ」
 そう言って、テンゾウと一緒にギシギシと音を軋ませながら古い階段を昇った。二階は書籍ばかり置かれた部屋と寝室がある。寝室とはいっても一階の奥の部屋にもベッドを置いているから、ほとんどそこで眠っている。一人だと一階だけでも充分広いのだ。
「建物見るの好きなの?」
「はい。よく一人で建築物を見に行ったりしているんですよ。こういう古い柱とかガラス窓とか、何時間も見てられます」
 テンゾウは俺の返事をしながらも建物に夢中で、壁や柱を触ったり軽く叩いてみたりしている。その気持ちは分からないでもないけれど、さすがに俺は何時間も見ていたりできない。でも今みたいに何かに夢中になっているテンゾウなら、なんとなく見てられるかもしれない・・・・・・。
「その辺の床、抜けそうなんだよね。気を付けて」
 テンゾウが立っている辺りの床の一部分が、他より軋むというより沈むと言ったほうが正しいのかもしれない。いつか穴が空いてしまうような気がして、なるべく乗らないようにはしているのだけど。
「そうなんですか?・・・・・・わ、本当ですね」
 テンゾウは軽く足を乗せてみてそう言い、楽しそうに笑った。
「じゃあ次は下に」
 そうして下の水回りを見せた後、最後に仕事部屋に入った。
「ぬいぐるみがある」
「あぁ・・・・・・それね」
 テンゾウは早速ベッドの脇に置いてあった犬と猫のぬいぐるみを見つけた。
「触ってもいいですか?」
「好きなだけどうぞ」
 するとテンゾウは二つとも持ち上げて、俺の方を振り返った。
「一緒に寝てるぬいぐるみですか?」
「一緒に寝てるんじゃなくて、そこに置いてるだけ」
 ベッドに置きっぱなしにしていた事を後悔してもしょうがないけど、さすがに恥ずかしくてムキになって答えるとテンゾウはくすっと笑う。
「何笑ってんのよ」
「いえ。カカシさんって、たまに凄くかわいい時がありますよね」
「かわいいってお前ね・・・・・・」
「こっちの猫のぬいぐるみ、まだ新しいですよね。なんとなく、うちの看板の猫に似てるような気がするんですが」
 黒猫のぬいぐるみをまじまじと見つめている。
 やっぱりテンゾウと似ている、凄く。そう思ったら可笑しくて笑っていると、何がおかしいのかとテンゾウは首を傾げた。
「それ、テンゾウの接骨院の看板猫をモデルにしたの。持っていこうと思ったんだけど、まだ完成してないから」
「そうなんですか?あの猫、僕がモデルらしいんですよ。受付のバイトの子に描いてもらったんです」
 それを聞いて、やっぱりと笑ってしまった。
「そんなに似てますか?でもこれ、未完成には見えないですが」
「看板を首にぶら下げようと思っててね、材料が無いから作れないの」
「完成するの楽しみにしています。でもこれ、本当に頂いていいんですか?」
 ぬいぐるみを、ちょこんと手の平に乗せてテンゾウは聞いてくる。
「どうして?」
「だって、このぬいぐるみだけ別の所に置いてあるし。この犬のぬいぐるみ、カカシさんの大事な物のようなのに一緒に置いてあるから頂いていいのかなって」
 その言葉にドキッとしてしまった。本心を見抜かれてしまい慌てて取り繕う。
「そうじゃないの。これ作ったあとおかしな所が無いかなってベッドで横になりながら眺めてたら、いつの間にか眠っちゃって。そのまま」
「そうでしたか。これ、カカシさんが持っててくれたら嬉しいですけどね。僕に似てるから、見る度に思いだしてくれそうですし」
 ニッコリと笑って言ったその言葉に、思わず顔を紅潮させてしまう。だってそんな事、普通言うか?
「営業上手」
 照れた事を気付かれたくなくて、ぽつりと言って先に部屋を出た。きっとテンゾウは、ぬいぐるみを見て接骨院の事を思いだして欲しいとか、そういう事を言ってるんだろうに。
「僕が営業上手だったら、人をもっと雇って宣伝も沢山していますよ」
 俺の後に続いて苦笑いしながらテンゾウが言う。そのテンゾウの手には猫のぬいぐるみ。気に入ってくれたんだろうか、だけどこれ以上触れるとまた墓穴を掘ってしまいそうだから知らない振りをしておこう。

「カカシさんの料理、本当においしい。毎日カカシさんの手料理食べたら仕事も力が入りそうな気がしますよ」
 鰯の煮物をもぐもぐ食べながら、なんとも幸せそうな顔をしている。
 料理はずっと自分の為だけに作ってきたけれど、こんなに美味しそうに食べて貰えると作って良かったなんて思えてくる。
「料理を人に作ってあげた事がほとんど無いから、そう言ってもらえると嬉しいかな」
「そうなんですか?例えば恋人とかに作ったりとか」
「俺、ずっと仕事人間だったからね。付き合ってる人がいても仕事のほうが大事だったから、あまりそういう時間も無かったんだよね」
 今思えば悪い事をしたとか思うけれど、言い換えてみればそこまで好きになれなかっただけ。
「今もそうなんですか?」
「んー・・・・・・今は付き合ってる人いないから分からない」
 そう答えてビールを飲むと、家の中を案内している間にぬるくなってしまっていた。それを一気に飲み干して席を立つ。ビールばかりでお腹いっぱいになってきたから焼酎にしよう。
「焼酎飲める?」
「あ、はい。なんでも平気です」
「とか言っちゃって、この間みたいに先に寝ないでよ」
 ぐっすり眠りこけている姿は見ていて和むけれど、今日はもう少し話がしたい。テンゾウの事をもっと知りたいんだ。
「今日は大丈夫ですよ。せっかくカカシさんの家に来てるのに、勿体無くて居眠りなんて出来ません」
「じゃあもし寝たら今日は叩き起こしてあげる」
 焼酎を入れるグラスを二つと、冷凍庫から氷を出して皿に移す。
 そして、まだ開けていなかった麦焼酎のボトルを運んでテーブルの上に置くと、テンゾウが開けて注いでくれた。
「今日泊まっていくなら二階のベッド使ってくれていいよ。ソファで寝たら背中痛くなるし」
「良いんですか?」
「うん。前もって言ってくれたら、ちゃんと準備しておいたんだけどね。明日の予定は?」
「明日は何も無いんです、なのでカカシさんが良ければゆっくりさせて下さい」
 そう言ってテンゾウは微笑んだ。膝の上には猫のぬいぐるみが、ちょこんと膝の上に乗せられたままで何だか照れくさい雰囲気だ。







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