in the flight

in the flight



 その日から、先輩は僕に抱かれに来るようになった。僕はあんな事、一度きりにして欲しかったのに。でも、拒めないのはやっぱり先輩が好きだという気持ちがあったからだと思う。そんな関係がずるずる続き、ある日の夜、今日こそ僕は言わなきゃと思った。こんな事は終わりにしたい。できる事なら僕の気持ちを先輩に伝えたいけど、今更そんな事を言う気にはどうしてもなれなかった。
 ベッドに入り横になっていると、静かに玄関の扉が開いた。そしていつも通り僕のベッドに潜り込み、僕の頬に先輩の指が触れた瞬間に僕はそれを避けて先輩に背を向けた。その指先が、驚いたように固まっている。
「・・・!」
「もうやめましょう、先輩」
「な・・・んで」
 動揺を隠し切れない先輩の声に、思わず胸が詰まった。僕がそう言ったら先輩はあっさり僕を捨てるだろうと思っていたから、先輩が言った、なんで?という言葉が信じられなかった。
「先輩は・・・僕じゃなくても、いいでしょう」
 他にも、体を満たしてくれる相手はいるんでしょう?僕の代わりなんて他にもいる筈なのに。僕には先輩の代わりなんて一人もいないし、要らないけど、先輩はそうじゃない。
「・・・」
 僕の問いかけには答えず、先輩は黙ったまま僕の背中にしがみつくように抱きついた。まるで子供のように。その行動に、僕はいたたまれなくなり強く抱きしめてあげたいと思ったけど、僕は先輩の恋人じゃないんだ。そんな事したって、どんどん深みにはまって、この関係から抜け出せなくなってしまう。でも突き放せない僕は、帰ってくれとも言えなかった。
 僕の背中を掴んでいる手は弱々しく、不安そうだった。でも僕にはその手を握ってあげる事もできないし、抱きしめてあげる事もできない。
「もう僕は、先輩の事を抱く事は無いですから。来ても、何もしてあげられませんよ」
「・・・分かった。でも、ちょっとだけ、このままでいて」
 小さく呟くようにそう言って、僕の背中に先輩の額が押し付けられた。背中に先輩の暖かい息がかかり、それはじんわりと胸に沁みた。

・・・先輩は僕に何を求めているんだろう。
もしかして僕の事が好きなのかと思ったけれど、そんな事がある訳ない。もしそうだとしたら、こんな事はしないだろう。そんな事を考えたのは、先輩が僕の事を好きだったらいいのにと、僕が心のどこかで思っているせいなんだろう。

 

 朝に目を覚ますと、先輩は帰ってもういなくなっていた。いつの間に眠ってしまっていたんだろう、思い出せない。ただ、うとうとし始めた頃に先輩の腕が僕の事を優しく抱きしめていた事は、なんとなく覚えている。その安心感に包まれて、うっかり眠ってしまったのか。・・・朝まで一緒にいてくれたらよかったのに。と、思いながらも、もう先輩が来ることは無いかも知れないと、自分が先輩に言った言葉を思い出して微妙な気持ちになった。


 任務の帰りに一人居酒屋に入った。僕はあの日以来、夜が嫌いだった。先輩が来るかもしれないと思うと、家に帰りたくなかった。もう遅い時間に空いている店も限られていて、よく行く馴染みの店の店内にはちらほら知っている顔があった。僕はカウンターの隅に座り、焼酎を頼んだ。
 一人溜め息を吐きながら、酒の肴にも手を付けず続けて飲んでいると、後ろの席から先輩の噂話が聞こえてきたものだから僕は聞き耳を立てた。でもその内容はどれも下世話な内容で、今まで聞いた事のある噂話ばかりだった。僕はうんざりした気持ちでそれを聞きながら酒を煽り続ける。
「で、今日もさ。腹の具合悪そうにしてただろ」
「あ〜。昨晩の相手に、たっぷり中出しでもされたんじゃないの?」
「くく。ありえる〜」
 昨晩の相手・・・?昨晩は僕の所へ来たけれど、何もしないで帰ったはず。・・・どうせこれも憶測の話だろうと思いながらも、先輩が体調を崩すという事に、疑問を覚えた。体調管理には気を使っているであろう先輩が、うっかり腹を壊してしまうなんて事がある筈がないって。もしかして僕が寝てから、そのまま他の男の所にでも行ったんだろうか。・・・ありえない話じゃない。僕は昨日、もう先輩の事を抱かないって言ったから。それなら、僕はもう用済みって事か・・・。

 何杯目かも分からない最後の酒を煽り、僕はふらふらした足取りで家へと帰る事にした。夏の夜道。星空が目にうるさくて、めちゃくちゃに塗り潰してしまいたいと空を見上げたら視界がぐるぐる回っている。こんなに酔ったのはいつ振りだろうか。あぁ・・・前に暗部の慰安旅行で、口数の少ない僕を酔わせようと、皆によってたかって飲まされた時。あの時、先輩もそういえば楽しそうに笑ってたっけな。
 それで結局酔いつぶれた僕を介抱してくれたのが先輩で、それがきっかけで僕は先輩の事を好きになったんだ・・・。
 酔っぱらった頭で、こんな関係になる前の先輩を思い出しながら夜道を歩いていたら、突然に涙が溢れ出してきた。どこからか沸いてくる感情を抑え切れない。目の前が霞んで前が見えない。でもこれぐらいの視界が今の僕にはちょうどいいんだ。もう何も見たくない。

 

 自分の家に帰るのに、どれぐらい時間がかかったのか分からない。部屋に入るなり先輩がいない事を確認して、落胆している自分に気付かない振りをする。・・・自分が終わりにしたのに、僕は何を確認しているんだろう。先輩がここにいる訳ないのに。
 脱衣所で服を脱ぎ捨て、冷たいシャワーを頭から浴びる。アルコールは少し抜けても、高ぶった気持ちは少しも冷めてくれなかった。・・・会いたい、先輩に。体だけでもいい、僕を求めてくれるのならとまで思うほど、先輩に会いたいと思った。

 バスタオルを頭からかぶり、濡れた体のまま台所へ行き、冷蔵庫から冷えた酒を取り出して寝室に入る。ベッドに腰を降ろし、酒のアルミの蓋を開いて口に運ぶ。
 もう今日はこのまま酔いつぶれて眠ってしまおうと、酒の瓶を手にしたままベッドに体を沈めたら、ベッドには先輩の匂いが残っていた。目を閉じて、ゆっくりと息を吸い先輩の匂いを嗅ぐと、ここに先輩がいるかのような錯覚を覚えた。そして、僕に抱かれている先輩の姿が次々と思い出されると、腰に熱が集まる。
 そして今、その先輩は他の誰かに抱かれているんだろうかと思うと、胸が締めつけられる思いがした。
 先輩の匂いを嗅ぎ、先輩を思い出しているだけで勃起したモノを自分で慰めた。少し触れただけで体中の熱がそこに集中する。
 先輩は一度も僕のモノに触れた事は無かった。先輩がしてくれるとしたら、どんな風にしてくれるんだろうと、頭の中で考える。あの繊細そうな冷たい指先で僕のを包んで、でもそっと、きっと丁寧に触れてくれるんだろう。長い器用そうな指先で、僕を導いてくれるんだろう。
 思えば先輩は抱かれている最中に、僕の名前を呼んだ事は一度も無かった。もし呼んでくれたとしたら、どんな顔で、どんな声で・・・と想像する。ずっと片思いをしていた先輩を抱いても、僕は満たされなかった。叶う恋じゃないってわかっていたのに、抱いてしまったら僕はもっと先輩を求めてしまう。僕が欲しいのは先輩の体なんかじゃないんだ。だから、せめて僕の名前だけでも呼んで欲しかった。他の男じゃなく、この僕が欲しいって言ってほしかったんだ。
 頭の中の想像の先輩が、僕の名前を呼ぶ。それだけですぐに射精感を覚え自分の手の中に欲を吐き出した。生暖かい液体が手や足に飛び散る。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・」
 射精した途端に虚しさが込み上げてくる。・・・どうしようもないな。体中の血液が逆流するような感じが収まらないのは、酒のせいなんだろうか。
 酔っている状態で欲を吐き出したせいで視界も歪んでいる。ベッドに体を沈み込ませたまま息を整えていたら、ふとある事に気が付いた。どうしてベッドに先輩の匂いが残っているんだろう。



 今日、厳密に言えば昨日の朝。時間に余裕があった事もあって、先輩の匂いが残るシーツを洗い、布団も干して、新しいシーツに取り替えたんだった。そんな事を思い出せない程、僕は酔ってるのか。それともそれ以前に、先輩の匂いがそれをも忘れさせたのか。どちらにしても、今日先輩はここに来ていた。間違いない。ふらふらの体を無理矢理起こして、引き出しから適当に服を引っ張りだして着る。どうしてか分からないけど、先輩に会いにいかなきゃと、僕は思ったんだ。

 先輩の家に着くと、部屋の灯りは付いておらず気配もなかった。部屋の呼び鈴を鳴らしてみても返事は無く、先輩はまだ帰ってないようだった。   もしかして僕の家を出たあと、誰かに会いに行ったんじゃ・・・。勢い良く家を飛び出してきたのはいいけど、僕は先輩に会って何を言うつもりだったんだ。好きだなんて言うつもりなんて無いのに。

 

 酒のせいで頭がぐらぐらする。先輩もいない。もう帰ろうと思いながらも動けずに、先輩の部屋のドアに背中を預けて、空を見上げた。僕は一人で何をやってるんだろう。





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