in the flight





くまさんのきもち 1





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 子供の頃、とても大切にしていたぬいぐるみがあった。
 家の中ではいつも持ち歩いて、寝る時は一緒じゃないと寝付けなかった。

 ちょうどその頃に亡くなった両親に買ってもらったのだけど、今思えば一人になった寂しさを紛らわせていたのだと思う。
 自分で言うのもアレだけど子供の頃から器用に何でもこなして頭も良い方だった俺は、めちゃくちゃ生意気だった。両親がいないという事を他人に同情されたくなかったのもあり強がっていたのかも知れない。
 だから毎日真っ暗な家に一人帰った時の寂しさを、そのぬいぐるみにぶつける事しか出来なかった。パグ犬のあまりかわいいとは言えないぬいぐるみに顔を埋めていると、寂しさが和らいだのだ。

 成長するにつれて一緒に寝る事はなくなって行ったけれど、部屋のいつでも見れる場所に置いてあった。
 それも就職の機会で引っ越しした時に段ボールに詰め込まれ、しばらくそのまま暗いクローゼットの奥で眠ったままだった。アパレル会社でのデザイナーの仕事は毎日とても忙しく時間も不規則で、そんな大切な物の存在すらも忘れてしまっていた。

 恋愛だって仕事が忙しいせいもあり、付き合っても気付けば連絡が取れなくなっていたなんて事はしょっちゅう。相手からすると自分より仕事が大事なのかって、言われたらそうだと言うしか無かった。
 仕事よりも大切に思える恋人なんて俺には一生できないのだと、なんとなくそう思ったりしている。

 当時付き合っていた恋人に俺が浮気をしているんじゃないかと疑われ、寝ている隙に部屋中ひっくり返された事があった。もちろん浮気なんてするほど器用じゃないから浮気の証拠品なんて出てくる筈もなかったんだけど、その時にクローゼットの奥で忘れられていた犬のぬいぐるみが出てきたのだ。
 俺がぬいぐるみを持っているなんておかしい、と寝起きに突きつけられたのだけど思わず可笑しくて笑ったら、怒って帰ってしまった。
 その人とは連絡は取れなくなってしまったのだけど、その事よりも犬のぬいぐるみの存在を思いだした事がとても嬉しかった。

 それ以来、ベッドの上のよく見える所に置いておくようになってから自分でも作ってみようと、仕事の合間にそこらに散らばっていた布きれで作り始めたのがきっかけ。
 その時はまさかこれが本職になるとは全く思ってもいなかった。けれど作り続けている内に最初は身内で評判になり、それが取引先にまで広がって店頭にも並ぶようになった。
 今までデザイナーとはいえ会社に雇われて働いていたものだから、ぬいぐるみ作家として独立する事には最初は戸惑いがあった。
 だけど店頭での売れ行きもよく何度も個展をして本まで出版するようになった頃には、そんな戸惑いを感じている余裕が無い程に毎日が忙しかった。

 ずっと住んでいた都会のマンションで作業をしていたのだけど、さすがに手狭になり引っ越しをする事にした。
 もう今までみたいに会社に通う事も無くなったし、少し外れた静かな所で暮らしながら仕事がしたい。そう思い不動産屋さんに相談していた時に一目で気に入ったのが今の家だ。
 古い町家が立ち並ぶ風情のある街の外れに、ぽつんと草木に隠れるように立っている洋風の家。ずっと下宿宿として使われていたこの家の二階は部屋数が多いのだけど、一階は広々と住み心地もよく、リビングから見える庭の眺めもよかった。
 家の隣が公園になっているから太陽の光がよく入ってくるし、夜は月もよく見える。少し歩いただけで軋む床やガタガタと立て付けの悪いガラス窓。
 都会の暮らしでは何不自由なかったはずなのに、不思議と今の暮らしのほうがずっと良いと思える。
 と言いながらも引っ越しをしている合間に滞っていた制作作業を、引っ越ししてすぐに始めなければいけなかったせいで家の中は全然片付いていなかった。
 引っ越しの際の諸々の手続きだけをして、数日間ほとんど徹夜で作業を続けた。
 食料を確保する為に八百屋などが並ぶ商店街の場所だけは調べたけど、他に何があるのかすら全然知らないままだった。

 そうして完成した沢山のぬいぐるみを段ボール箱に丁寧に詰め込んでいる。手に取ってくれる知らない誰かに大切にしてもらえるといい、そんな事を思いながら。
 今までは直接お店などに持って行ったり取りに来てもらったりする事が多かったのだけど、これからは宅配で送る事になる。
 離れた所に引っ越してきたせいで知り合いと話をしたりする事がほとんど無くなってしまった。だけど、それでも今の生活のほうがやっぱり自分には合っている気がする。距離を置きたかったというのもあるのかもしれない。

 十時になったら宅配屋さんが荷物を取りに来てくれる予定だからそれまでお茶でも飲んでゆっくりしようと思う。
 冷蔵庫から冷えた麦茶を取り、庭が見えるリビングのソファに腰を沈めた。視線の先には手入れのされていない庭が広がっている。せっかく庭があるんだから色々と育ててみようと思うけれど、まずはこの雑草を刈らない事には話にならない。それに部屋中の荷物も片付けないと。
 友達が近くに住んでいるのなら手伝いをお願いできたかもしれないけれど、さすがにこんな辺鄙な所にまで忙しい奴らを手伝いに呼ぶ訳にはいかない。そう思っていた時に携帯電話の着信が鳴った。昔からの腐れ縁で、この荷物の届け先であるアスマからだった。
「荷物ならちゃんと今日送るってメールしたでしょ」
「それ、まだ送ってないよな?」
 携帯越しに車のエンジンの音が聞こえている。
「まだっていうか宅配業者が来るの待ってる所。・・・・・・もしかして運転中?」
「いや、ガイが運転してる。今日仕事休めそうだったから直接取りに行こうかと思ってな、ガイと紅も一緒に向かってる所だ。だから荷物は出さなくていいからな」
「え?出さなくていいって、取りに来てくれってもう頼んだのに。それに家だってまだ片付いてない」
「だからわざわざ向かってんだろ。もうちょっとで着くから、後でな」
 相変わらずめんどくさそうに言うけども、お節介で面倒見が良い所はずっと変わらない。
「わかった。ありがとうね」
 電話を切って、あいつらの気遣いが照れくさくなって頭を掻く。俺が頼らない性格なのを知っているからこそ前もって言ってこなかったのだろう。

 それから三人が到着したのは二時間後の事だった。荷物を片付けながら待っていたとはいえ、いくらなんでも待ちくたびれた。
「どこ行ってたのよ・・・・・・」
「ガイが反対方向の高速に乗っちゃったのよ。しかもその事に気付かないまま、ずっと走っちゃってね。やっぱりアスマに運転してもらえば良かったわ」
 紅が呆れたように溜め息を吐いた。
「まあ道中楽しかったから良いじゃないか、紅」
「楽しかったかどうかは分からんがな」
 苦虫を噛み潰したかのような顔で言ったアスマとは対照的に、ガイは相変わらず暑苦しい。俺の肩に腕を回して、やる気満々の様子だ。
「時間もあまり無い事だし、さっさと始めるぞ」
「どこから片付ければいい?」
「んー・・・・・・じゃ、紅は台所の荷物をお願いしてもいい?アスマは二階を。俺とガイは草むしりな」

 そんなこんなで炎天下の中でガイと一緒に草むしりをする事になったのだけど、俺と競争だとか言って凄い勢いで草をむしっている。
「ガイ、そんなにムキにならなくても」
「これは男と男の勝負だ。今の所一七三勝一七二敗で俺の負け、今回は負ける訳にはいかないのだ我がライバルよ」
 そう言われると俺も少々ムキになってしまう。いつもガイの方から突然勝負を持ちかけられて面倒だと思うのだけども、いざ勝負が始まるといつの間にか真剣になってしまうのだ。
 気が付けば雑草の山が二つ庭に積み上げられ、一日で終わるのかと心配していた草むしりはあっという間に終わっていた。さすがに俺もガイも疲れて縁側に座り込むと、紅が苦笑いしながら冷たいお茶を持ってきてくれた。
「今日の勝負は引き分けのようね」
「さすがカカシだな」
「いや、ガイの方こそやるな」
          
             *

 陽が暮れる頃には荷物がほとんど片付けられ、手伝ってくれたお礼に夕飯を奢ろうと誘ったのだけど断られてしまった。
「三人とも明日早いからな、また帰り迷っちまうかもしれねぇし」
「はは!それも青春だな!」
 ガイの運転なら有り得るけどもアスマの運転なら大丈夫だろう。
「遠いのに来てくれてありがとうね。お礼は今度会った時にさせてちょうだい」
「そうね、また遊びに来るから」

 走り去った車をしばらく見送りながら知っている人が誰もいない所でやっていけるのか、引っ越してきて初めて心配に思った。けれど逆に離れていても、こうして心配して来てくれる人が俺にはいるんだから大丈夫だと思い直した。アスマとは仕事での付き合いもあったけれど、そもそも都会にいた頃は忙しくて皆と会う暇すら無かったのだし。

 少し空腹を覚え家の中に戻ろうと引き返した時に何気なくポストの中を覗いたら、何通かの封筒とチラシが投函されていた。特に気に留めずテーブルの上に置いて先に夕飯の仕度を始める事にした。
 炊飯器を見れば、いつの間にセットしてくれたんだろう。紅が用意してくれていたようで炊けた事を知らせるアラームの音が鳴った。こういう気が利く所が好きなんだとアスマに惚気られた事があった気がする。だけど俺からしてみれば三人ともそうだ、今日だって仕事を休んで来てくれたんだと思う。そうじゃなきゃ皆忙しいのに丁度良く休みが合う筈が無い。
 味噌汁を作り冷蔵庫の中に作り置きしてあった煮物を温めて、一人で食べ始めた。どんなに忙しくても食事だけはきちんと作って食べないと気が済まなかった。もともと料理が趣味だという事もあるのだけど。
 ご飯を食べながらテーブルの上のチラシに手を伸ばした。
 ヤマト接骨院、そう書かれたチラシなんだけど紙の半分以上を占めているのは猫のイラスト。肝心な診療内容などはほとんど書かれておらず、あるのは簡単な地図と電話番号と休診日は水曜日と日曜日って事だけ。
 接骨院の案内ってなんていうか、あなたの腰痛お任せ下さい。とか万年肩凝りは当院にご相談下さい。とか書いてあるのが普通でしょ。なのにこのチラシときたら首から看板をぶら下げた筆で描かれた猫のイラストのみ。首を傾げながら地図を見てみると、俺の家からは数分もかからなそうな距離だった。ただこの通りは一度も通った事が無いから、こんなにも近所に接骨院があるなんて知らなかった。
 仕事柄、肩凝りと腰痛は仕方の無い事なのだけども酷くなってくると我慢できるものでは無いから、こっちに来てから探さないとと思っていたから丁度良いけど、どんな接骨院なのか想像がつかない。
 明日一度様子を見に行ってみて決めよう。少し怪しい気がするけども、そう思えば入らなければいいだけの話だ。







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